石神の松 江戸花火

石神の松 江戸花火


★4月9日、桜満開の中川村にて

おかげさまを持ちまして、無事に

松を夜空へ見送ることができました。

皆様のご協力・応援・ご協賛

ありがとうございました!★


⦿開催日時  令和4年4月9日(土)

 夜7時30分~
⦿打上げ場所 中川東小学校 校庭


主催:石神の松プロジェクト実行委員会 
共催:中川村・中川村教育委員会
協賛:大草夢クラブ(中川村大草地区 地域活性化 住民組織)
   アルプス中央信用金庫 中川支店
          望岳荘(りんごとハチミツの里 信州ふるさとの宿)

 

協賛金募集中! 

クラファン令和4年4月19日まで!!


御歳三百九十年
天寿を迎えし石神の松


その言い伝え 人の想ひ
産土(うぶすな)の子らへ語り継ぐ


果ては夜空の花となる
花は心に火を灯す


里に芽生えし 幼な松
江戸to 令和の世をつなぐ


石神の松が花火に生まれ変わって夜空へ

江戸に生まれ、令和に一生を終えた、中川村の元・天然記念物「石神の松」を炭・和火(江戸時代から続く伝統的な製法で作られた花火)という形で、再び命を輝かせます。


”松と先人たちに敬意をこめて、鎮魂と感謝の気持ちを届けたい!”

”花火の持つ「祓い」「祈り」の力で、この時代に困難に見える状況を、希望に満ちたものに変えていきたい!”


そのような思いでこの花火を企画いたしました。

ぜひとも一人でも多くの皆様のお力添えをお願いいたします。


今、ここでしか見られない幸運を分かち合い、

お一人お一人の祈りを込めて、

夜空いっぱいに花を咲かせましょう。

石神の松プロジェクト代表 松田友恵(中川村)



石神の松 江戸花火ものがたり


天寿を迎えた石神の松

「石神の松」は、長野県上伊那郡中川村・三共地区にあった赤松で、幹周り3. 4m、樹高6m、樹齢は390年とも言われ、昭和52年には村の天然記念物に指定されました。

 長らく地域の人々に親しまれてきましたが、天寿を迎えて令和3年7月にその長い一生を終えました。


 石神の松を見て、だれもが圧倒されたのは、その枝ぶりだったかもしれません。

 太い枝も細い枝も、四方八方へとうねりながら伸びており、その姿は”荘厳”の一言でした。

 伊那谷を吹く風や雨雪に耐えて、このような枝ぶりになったといいます。気候風土・松の生長する力・長い時間が育ててきたこの姿に、たくましさ・生命力・歳月を感じ、人は心癒されたり、勇気づけられてきたことでしょう。

石神の松と伝説

石神の松には、様々な伝説が残っています。 

例えば、石神の松の根元に、教育委員会により立てられていた看板には、このように記されていました。

「元和(1615~23)の常泉寺に一人の山伏が寄寓していたが、その法力は顕著であった。

 当時頻発する天竜川のはん濫に悩んだ農民は、この山伏に頼って水難よけの祈とうしてもらった。山伏は21日間祈願を続けたが、満願の日、ついに精根尽きて倒れてしまった。山伏は死に先立ち、この水神に手植えの松を手向けた。これがその松で、石神の松と伝えられている。」


中川村三共・仲林地区には、この行者様をお祀りする祠があり、今も毎年春に住民により祈祷が捧げられ、「行者様のお祭り」として寄り合ってご馳走を食べたり、宝投げをしたりする行事が続けられています。

石神の松には、この他にも「天竜川の主である九頭竜の化身の鯉が、(石神の松の真下を流れる)天竜川の釜淵峡に棲んでいた・・・」とか、

「息を止めて松の周りを7周すると、青坊主が出る」

「石神の坂を行き来する旅人が足の疲れを癒すため、松の根元へ石を手向けた」

等の言い伝えが残っています。

それだけ里の人にとって身近な松であったことが偲ばれます。

松とのお別れ

 長い時を生きてきた石神の松でしたが、令和2年の春に、大風で根元が折れてしまい、樹木医による治療が行われましたが、だんだんと枯れてきてしまいました。

 その後”松くい虫害あり”と診断されたため、周辺へ被害を拡げないようにとの配慮から伐採されることが決まりました。

 伐採に先立ち、木霊鎮めの神事が令和3年6月に行われました。村長、教育長はじめ、松周辺の整備をしてきた大草夢クラブの方、地区の方が参列し、炭師の原伸介さん・和火師の佐々木厳さんとともに、私たち石神の松プロジェクトのメンバーも参列させていただきました。

 宮司の松村さんが「大変残念ではありますが、世代交代の時を迎えたのだと思います」とおっしゃったのが、とても印象的でした。

令和3年7月、上伊那森林組合特殊伐採部の方により、2日間かけて石神の松の伐採が行われました。

松を見下ろす「石神パーク」には、石神の松に思いを寄せる方たちが入れ替わり、立ち替わり訪れて、その様子を見守りました。石神の松との、思い出話を話してくださる方もいらっしゃいました。

花火の材料となる「炭」を焼くための枝と、線香花火の煤をとるための枝を、特別な許可を得て、わけていただきました。ご理解・ご協力をいただいた中川村教育委員会・上伊那森林組合の皆様、大変ありがとうございました。

「まるでこの場所が好き・・・って言ってるみたい。」

残された切り株を見て、ある方が言いました。

確かに。あるいは、眠りについた人のようにも見えます。

その方は松が「朽ちてなおよろこび」と言っている、とも教えてくれました。

切り株の周りには、新しい松が生え、草が生え、キノコが生え、虫がうごめき、トカゲがいて蛙がいて・・・。

朽ちていくことは悲しみではなく喜び。

食べてくれる菌たち虫たちの命となり、次の命を育む土へと還っていくことができるから。

子どもたちが松の「命」を伝える

この一年間、誰よりも石神の松と深く関わってきたのは、実は子どもたちかもしれません。

令和3年度中川東小学校4年生のクラスでは、「石神の松」をテーマに総合学習を進めてきました。

松へのお別れの手紙を書いて松の根元で読んだり、中川村歴史民俗資料館の学芸員さんから石神の松の伝説の話をしてもらったり、それを元に絵を書いたり、自分たちで紙芝居を作って、全校生徒へ向けて発表をしたりしました。

 私たち石神の松プロジェクトのメンバーも、授業の中で、石神の松を和火にする話をさせていただきました。その時に、ある男の子が「松を炭にしたら千年残るのですか?石神の松のことを、自分の子どもや子孫に伝えたいから、炭にして残せるのはいいと思う」という話をしてくれて、「後世に伝えたい」という思いを持ってくれていることに、驚き、大変うれしく思いました。

石神の松が生まれ変わって花火へ

今回、石神の松を炭に焼き、その炭を粉にしたものを使い、日本伝統の打上げ花火をつくります。江戸時代に生まれた製法でつくる「和火」です。


ご協力いただくのは

炭師 原伸介さん

和火師 佐々木厳さん

です。

お二人とも、その道において、大変すばらしい技術、そして信念を持っていらっしゃる方です。

今回、石神の松にも想いを深く持ってくださっていて、木霊鎮めのご神事から立ち会っていただき、今回のプロジェクトのために何度となく中川村にも足を運んでいただいています。


江戸から続いた松の命を炭に焼くことは、松が木としての一生を終えたこのタイミングでしかできないことです。


それを江戸時代から続く製法で花火にして、ここ中川村で打ち上げられるということは、多くの方のご支援・ご協力あって初めてできることで、「奇跡の花火」だと私たちは思っています。

ご縁に感謝いたします。

里に芽生える おさな松

 今、石神の松の根元には、母松が残した新しい命が芽生えています。まさに、宮司さんが木霊鎮めの時におっしゃった世代交代です。

 この松が再び、何百年と生きられるとしたら?

 石神の松がこの地で、長い年月生きてくることができたのは、人とのかかわりがあったからこそではないでしょうか?

 松と人の「見守り・見守られ」という関係。

 石神の松は、里山で人と自然が命を生かしあってきた象徴といえます。

 令和の時代を迎え、”地球温暖化”や、”生物多様性の危機”が大きな問題となり、「人と自然の共生」というテーマは、今を生きる私たちにとって、ますます大事なものになってきています。

 この「おさな松」を自然の力と、人との協力で育てていくことができたら、それは未来の子どもたちにとっても、大きな希望のメッセージになるように思います。

江戸to令和 その未来へ

ーおわりにー


中川村のすばらしい里山の自然や文化、歴史を 

感謝や祈りとともに伝えていくこと。

それは、私たちのご先祖様が当たり前にしてきたことでした。

その”当たり前”を、次の世代にも手渡していきたい。

例えば、

炭というかたち、

和火というかたち、

松を育てるというかたちで。


石神の松の煤を使った墨で、「命」という文字をかいた子がいます。

「石神の松のことは、命のことをやっていると思ったから」と、その子は話してくれました。

300年、400年先のために今、何を残し、何を手渡していこう?

どのように命を伝え、つなげていこう?

皆さんと一緒に、考えていきたいです。


・・・


何はともあれ、

まずは花火をご覧あれ。


夜空に花と開く、石神の松の命を

見上げたならば、


きっと温かい光が、どなたのお心にも

灯りますように。




石神の丘直下の流れ、天竜川釜淵峡

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